日々の私

こんなに考え込んで夜が寝られなくなったり、朝逆に起きれなくなって一日中ずっと寝てしまったり、あんなに活動的だったのに引きこもりがちになったり、いつからだろうと思う。なんでもないことを母や妹と話す時もかすかに声が震えたり、ふとした時に理由なく涙が溢れ出す事がある。色々考えたが、きっと今年に入ってからだと思う。昔から私はなぜか運が悪く仲良くなった子はほとんど引っ越してしまっていた。保育園で仲良くなれば私の引っ越しで離れ、引っ越し先の幼稚園で仲良くなれば小学校は別になり1.2.3.4年と仲良くなる子ができるたびにみんな他の区、他の国、他の県、いろんなところへ引っ越して行った。おかげで5.6年生の頃は誰とも深く仲良くはならず、浅く広くみんなと仲良く、そしてみんなと距離があった。中学になってからは仲良くなる子はいたが、やはりクラスが離れると1年間で仲良し組は解散した。みんなそんなもんなのだろうか。中二で父と別居した。私はなんとも思わなかった。むしろ嬉しかった。高2で祖父が死んだ。何度も何度も自分の手ではどうしようもできない状況に置かれる夢を見た。祖父が死んだ時は本当に本当に悲しかった。母に怒られた時はいつも庇ってくれて、泣いてまで私を良い子だからと言ってくれた祖父。祖父がトイレで倒れているのを気付かなかった私のせいで病院に行くのが遅れたんだと今でも時折自分を責める。私にとって、1番怖い事は人が私から離れて行く事だ。昔から変わらない。きっと誰に殺されるよりも、それが怖い。孤独が怖い。人間くさいといえば良い言い方だが、私は孤独が震え上がるほど怖い。だが最近、私はある決心をした。それは変わりゆくものには期待をしないという事だ。例えばあの雲があそこにとどまって欲しいと思ったところで無駄である。人に対しても同じだ。しかしこれは自分を守る術でしかない。わかっている。つもりである。一緒に住もうという話を出すと避けられたように感じた今年の初め、それが事の発端なきがする。今年に入ってすぐは私は期待でいっぱいだった。一緒に住める、新しい土地で心機一転、大好きな人と暮らせる。そう考えただけで浮き足立ち、インテリアやバイトを毎日毎日何時間も検索した。しかしそれはただ私の希望を押し付けていただけだったみたいだ。彼は乗り気ではなかった。正直な話、ショックだった。前の彼女と住んでいたことを聞いていたので尚更だ。まだ私は認められてないんだと、自己嫌悪になった。またしばらくして4.5月もまだ彼は乗り気ではなかった。もう、完全に私は心が壊れてるのを実感していた。2月に彼が入院し、それも私がこうなる1つだった気がする。もちろん彼のせいではない、甘えて弱い私自身のせいなのだ。しかし彼が入院した時、私は本当に孤独を感じた。彼だけが生き甲斐になっていた自分にそこでまた改めて気づいた。彼に認められてない自分、またそう考えてしまう自分、そうではないと言いながらも動いてはくれない彼、いろんな事に失望して、一度当たった6億の宝くじが間違いだったと伝えられたような虚無感で胸がいっぱいだった。もういろんな事に期待をしないと心に決めてから今ははや2ヶ月、1人で立ち向かわなければいけない私は少しはこの状況を打ち破れている気がする。きっと彼から見たらまだまだだろう。面倒臭い、だるい、話したくない、そう思われているかもしれない。大好きな人だからそう思って欲しくはない。大好きな人だから、私をずっと好きで可愛いと思っていて欲しい。しかし、大好きな人だから、私は全て打ち明けて全て一緒に解決したい。だから話す。期待をせずに話す。そうしなければならない。期待をすればまた、いずれは失望が待っている。もっと私は強くならなくてはいけない。彼に頼りたい自分と自分でなんとかしなくちゃいけない自分は6.4でいる。まだ他力本願なのだ。甘えて幼稚な自分にほとほと嫌気が指す。彼に助けて欲しいと願ってもきっと彼も彼で色々とある。私の事を気にする余裕など今はきっとないのだ。わかっているのに、そうできない自分が本当に嫌いで、切りつけたいくらいの嫌悪感が腹のなかで渦巻いてる。彼と話す時は明るく楽しくしなくちゃ、母や妹、祖母も、みんなと話す時は楽しく、元気にしてなきゃ、と意気込めば意気込むほどにつらい。1人になった瞬間に苦しい。彼に好きでいて欲しい、だから可愛く楽しく明るく、そんなのは、わかってる。でも全てが打ち明けたいし、わかってほしい。それでも私を愛していてほしい。そんなまた、希望である。虚しいが、私は期待や希望で生きている。本当の事を言えば死にたいとさえ思う。しかし祖父が死んだ時の私のような辛い思いを家族や友達や彼にさせたくない。その想いで死なない。私はだれをも失望させたくない。しかし今は実際、彼を失望させているのだろう。こんなはずじゃなかったと。私も、どうにかして治したい。つらい。治したい。こんな私の彼でいて、つらいなら、他の子を探してほしいとすら思う。本心ではないが。彼に失望されているこの状況がとてつもなく嫌で、自分が嫌いで、胃が痛くて、涙が止まらなくて、もう疲れた。また頑張らなきゃ。

ちょっとロマンチックな話

ちょっとロマンチックで現実味のない話をしようと思う。今ふと考えたのだが、私がもし今の彼と出会っていなくて、他の人を愛していたらどうなっていたのだろうか。彼に出会えて変わった事はたくさんある。もちろん夜遊びをやめたりタバコや酒に頼らなくなったり、生活面でもそうなのだが、1番変わったのはやはり内面だと思う。故に生活が変わった。今まで付き合った男性になくて、今の彼だけから感じれる物の1番大きいものは、包容力である。年齢のせいではない。彼は男性としてというか、人間としての優しさがあり気遣いができる。少なくとも私の男友達や元彼と比べると、段違いに優しい。初めて2人で遊んだ日も私はそれを1番思った。そして彼と付き合ってやっと私は解放された気がした。人は強弱はあれど誰しもが孤独である。しかし私は彼に出会った事でその孤独から解放され真に自分の人生を歩める気がした。それが包容力だと思う。彼は食べないとすぐに痩せる系の人間でものすごく細いが、その中には誰にも負けないくらいのでかい包容力を抱えている。そして私はそこに心底惚れ込んでいるのだと思う。そんな彼と出会わずに今までを過ごしていたらどうだったのだろうか。年齢的に夜遊びをやめていたのだろうか?タバコや酒はやめていないと確信する。また、強い孤独に苛まれて自分を極限まで追い詰めていたかもしれない。過去の私はその癖がどうもあった。他の人と付き合っていたとしても、きっと私は孤独なままで結婚すら諦めようとしたかもしれない。正直な話、ここまで結婚をリアルに考えて、この人となら子供を作っても良い、お金がなくたって何があったってやっていけると感じたのはこの人が本当に初めてである。今までとは何もかもが違う。ただパラレルワールドがもしあって、そこの私がこの彼と出会っていないとしたら、私は確実にネガティヴなままの根暗なカッコつけな自分の欲でしか動かないクソみたいな人間になっていたと思う。その私にはきっとその私なりに楽しい事があると思うが、この私はいまの私がやはり良い。彼と出会っていなかったらと思うと恐ろしい。私の1番の人生のターニングポイントは彼と出会えた事だと思う。パラレルワールドに住んでいなくてよかった。そんなことを少し考えた。ロマンチックではないか。でも、こんなSFチックなことを考える自分を客観視すると可笑しい。ただ、考えているのは非常に楽しい。

メンヘラメーカー

付き合った彼女または彼氏の精神を蝕んで依存させる、魅力度が極端に高い、もしくは惹きつける能力を持っている人の事を私はメンヘラメーカーと呼んでいる。私の彼氏の事だ。よってきっとわかるだろうが私はメンヘラだ。今さっき友達とラインをしてて気がついた事がある。私はこの類の男に引っかかった事が人生で一度もなかった。過去を振り返っても全く思い当たらない。彼はその面でも新鮮で私にはいつでも素敵だ。いや、そんな惚気を書くつもりで今回は書き始めたのではない。彼を筆頭にして世に多数いるメンヘラメーカーについてだ。彼らのやり方はたくさんある。しかし私にはその経験のストックがないので今の彼氏の話だけをする事にする。気をつけるために宣言するが、惚気ではない。さて、まず最初に。出会ってすぐの頃言われて今でもものすごく傷ついている事がある。まぁそれは友達としての冗談で私は当初ふざけて笑ったが、実際なんども凹んでいる。明確な言葉を出す事はやめるが、外見についての事だ。人間誰しもがコンプレックスを多かれ少なかれ抱えて過ごしていると思うが、私は私の仲良くしている友達の中ではダントツにそれを気にするタイプである。そして気にして直そうと躍起になって、また落ち込む。そもそも私は自己肯定感が薄い。こうでなければならない、もっとこうすべきだと、未完成で不用意な自分に自責の念を常に持っている。多くのカルト集団で用いられる洗脳の技術の最も始めはこの「自分はどうしようもなくダメで良い所のない人間だ」という意識の植え付けから始まる。私はそもそもダメだと思っていたところに、証明のように彼からそう言われたのだった。そして次に私達は恋に落ちた。時間はかからなかった。知り合ってすぐ、1カ月もたたないうちに彼の事を考えて焦がれる日々が始まった。彼はそのときとんでもない包容力を私に見せて来た。正直始めは、今までの人生で関わることのなかった人種だったのでとまどった。もちろん疑いもした。ここでこの人を信じてただ都合よく弄ばれるんではないかとよぎった、がしかし。好きな気持ちの方が大きく、私は彼を信用した。彼のどこにもいかないという言葉を鵜呑みにした。ここが2つ目のポイントである。また洗脳の技術の話になるが、そこでもこの「何もないあなたを愛するのは私だけ」手法は用いられる。そして私はハマり抜け出せていない。ただし1つだけ言っておくと、私はそのようにして彼にハマったが今はもうそれが愛に変わっているのでそうしてくれた彼にただ感謝をしている。そして最近はこれが洗脳ではない証だが、自己肯定を出来るようになってきた。私はそもそも果てしないネガティヴ思考の持ち主だが、それを変えようと最近は無理をしていた。人の粗探しをしてしまう自分に嫌気がさし本当に思う所を何も言えなくなってしまった。しかし彼は少し前私に、気張らなくて良いよと言った。言われた時は頑張っているのに、と腹が立ったが今になってすごく有り難く感じている。何をしなくても、この人なら愛してくれると彼のおかげで自己肯定が生まれたのは紛れも無い事実である。ただしみんながみんな彼のような愛ゆえのメンヘラメーカーとは限らない。結婚詐欺なんかが良い例だろう。しかし私もメンヘラメーカーを見習って人タラシになりたいなぁと、最近は少し思う。人タラシは時として特技である。

男友達、女友達という概念

私は女子校出身である。それも中高六年間見事に200人の女に囲まれて育ってきた生粋の女子校出身者である。大学?アメリカである。よって私の男の子への知識は小学生以下、もしくはアメリカ人へのものしかない。アメリカにいた頃は仲良い男の子はいつも焦った口調の日本オタクしかおらず、あとは日本人かファンキーなゴリゴリ気の強すぎアメリカ女達としか接していなかった。しかし彼氏がいた事はところがどっこい、ある。この22年の人生で今の人を含めて5人だ。モテ期が来たとふと思った時期も、ある。クラブでウォンウォン死ぬほど遊んでた時も、ある。しかし、やはり、私には男友達が少ない。なぜなら私は男に慣れていない。彼氏いたことあってアメリカ行ってて度胸もあってクラブで遊んでて何が男に慣れてないだ、ふざけんな、クソが、殺すぞ、と思った方。私も私みたいなやつがそんな事言い出したら夜中の渋谷を連れ回して女の顔になった所にテメエほら見たことか!と言って殴る。ただわかって欲しい。私、本当に男に慣れていない。大元の心の奥底が男に慣れていないので、彼氏一筋で他の男友達と疎遠になっている今それが剥き出しになっている。ついこの間も、カフェの店員が男だっただけで冷たいカフェオレを飲むはずが緊張で忘れ、気づいたらホットコーヒーを汗だくで飲んでいた。ただ店員がデブハゲのおっさんだと緊張しない。きっと申し訳ないが完全に男として見ていないんだと思う。おじいちゃんなんか見た時には可愛いとすら思う。おっさんに性は全く感じない。まあきっと私の年代の大半の女の子は同じなのでそれは置いておこう。と、いう私であるので、私は男友達という概念が信じられない。また、男の言う女友達も信じられない。私の少ない男友達は今後もう何があっても絶対に何も起こり得ない人(何故なら全く見た目が絶対に男として見れない、無理)か、これは男友達と言っていいのかわからないが、高校の時の塾や大学が同じで顔馴染み以上くらいになってSNSで時折見かける人しかいない。性を意識しすぎ、もっと友達、人間として見たら?死んでしまえそんな事言う奴は。じゃあお前はセックスしないのかよ。するんだろ、なぁ。するんだろ!!特定の誰かの悪口ではないのでそれだけはご了承。あのねぇ、人間として、動物として、性を持っているから理解出来ないつってるんだ。と言うことで私の彼氏が女友達と2人で会うのは何が何でも禁止である。幼馴染だから大丈夫?な訳あるかいあほんだら。私の親友は幼馴染の事が大好きだわ。性格が無理だから彼氏にはなり得ないし?性格が無理なのにぃ友達なのはぁナゼェ?顔が好きなのぉ?それとも情ですかぁ?情に流されてそれってヤりません〜?? 性差別だとかなんだとか言うけどさ、実際女は男より力弱いし男は女より不器用だし、そう言う場合が多数ではなかろうか。差別ではなく区別。女で得した事、私はおおいにある。はたまた男もきっと男で得した事はあると思う。べつに男友達だからあんたの彼氏になんもしないし笑 的な人間、私みたいな人間の事も考えて欲しい。逆もしかり。友達が多い事は良い事だ。しかし根本的に男と女は違う。よほど気があう異性の友達がいるなら死ぬほど女々しい男か究極に雄々しい女かである。サラッとした付き合いがしたいから私は女友達と積極的に接する。まあそれだけのはなすぃですぃた

自己紹介を兼ねて最近思う事

私には片時も頭から離れず知り合って一年経った今も当時と変わらない、もしくはさらに加速する愛情を向けている彼氏がいる。まぁ彼氏の話を一番にしちゃうところでもうその好きさが出まくっていると思うが、とにかく最近それについてふと思うことがある。付き合う前はとにかく大好きで、ただそれだけだった。もちろん彼女ではないので彼が他の女の子と遊びに行ってキスをした話を聞いても嫉妬する権利すらなかった。今でも思い出すたびに非常に不愉快になる。それから付き合って、まぁ私はとても精神病チックな考え方を恋愛に関してはもっているので自分や相手を物凄く追い詰めるほどに嫉妬し行動の制限をかけた。もちろんだ。なぜなら私達はクラブで知り合いお互いの遊び歴を友達の間に洗いざらい話してしまったからだ。そりゃあ不安になる。と言うことで思っクソ私は制限をかけたのだがそれで喧嘩もした。そもそも私は彼と付き合う前、というか今まで付き合った人に対してあまり嫉妬をしてこなかった。強いて言えば近々で付き合っていた元彼なんかは申し訳ないが逆に女の子と遊びに行ってくれ(私から早く離れてくれ)と強く思っていた。なので女の子と2人で遊びに行くのはもちろん飲みに行ったり2人でオールまで許していた。なぜ、私がこんなにも嫉妬深くなったのか。これが最近私の思うところだ。そして結論に至った。私は彼の魅力を誰よりも知っている自信がある。そして彼は今まで彼女がいたことがあるのだ。ということは私の思う彼の魅力は一般的に見ても魅力であり私以外の人を惹きつける。こーれは困ったよ。困ります。惹きつけられた女が彼に女としてセックスアピールをしたらどうする。往々にあり得る話である。これが恐ろしくてふと頭をよぎるだけで不安が募り妄想の中で彼の周りの女を全て殺してしまうくらいになるのだ。現実には私は刑務所に入って彼と過ごせなくなるのは嫌なので殺さないが、そのためにたくさん嫉妬し、行動に制限をかけてしまう。セックスアピールをされても動じないんではないかと彼氏を信じてあげられないのかと聞かれれば、迷う。もちろん信じたい。しかし彼も男であり人間であり動物である以上本能には逆らえない。また、大変に遊んでいた過去があるので人はすぐ変わらないセオリーを持つ私にはなかなか信じる事は難しい。彼から女にアピールする事は当たり前だが、ない。これだけは8億%確かだ。しかし女からアプローチされる事は、なきにしもあらず。なんかとても腹が立って来た。大切でとても可愛い彼女がいるので話しかけないでくださいクソ女どもくたばれというTシャツを作って毎日彼氏に着てほしい。白ティーに血で文字を書こうか。まぁとにかく、私は魅力たっぷりの彼をとても好きで、好きで、好きで好きで仕方なくて、なんなら最近彼が夢中なゲームにまで嫉妬するようになったので(それはまたよくわからない話であるが)、彼に私だけを見ていてほしいというエゴイズムむんむんな奴なんだという事が伝われば良い。これからくだらないこういうポップアップした考えを書くのでよろしくどうぞ。